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2009年3月29日 (日)

 本との出会い

人は出会った本に救われる事がある。特に海外で心細い時に文庫本で救われることが有る。僕は海外に長く滞在していて本に救われたことが2度ある。一度目は1972年頃、まだ20代の前半パリの屋根裏部屋に住んでいた際、そして2度目は1986年から30代後半,家族で集合住宅に住んでいた頃、それぞれ、その時代に書かれた何冊かの著作に出会い救われた思い出がある。

20代での最初の渡欧時、学生時代から読んでいた司馬遼太郎の文庫本を何冊か、スーツ・ケースに入れて持って行った。題名は覚えておらず、1年後東京に戻る際、全て現地で知り合った友人達にあげて来たので手元に一冊も残ってもいない。だが、異国での孤独感と巨大な石の文明に圧倒される思いを鎮める働きが、司馬遼太郎の文庫本にはあった。

もちろん、日本語への飢えを癒すには山本周五郎でも池波正太郎でも良かったのだろうが、フランス人と拙いフランス語で話す際に司馬遼太郎の著作にどれだけ助けられただろう。僕等の世代に共通するのかどうかは分からないが、僕は子供時代に日本の歴史や古典をきちんと身につけて覚えがない。学校で誇りを持って日本文化や歴史を教わった記憶が全くない。

もちろん、学校の授業で歴史や国語を教わったことはあるがそれは通り一遍のことで、授業が終われば全て忘れる類のものだ。あくまでも試験に出るかどうかにしか生徒の関心はなく、学生は面白みや魅力を日本歴史や国語に感じようもない。

それはやはり、自ら身につけるしか他に仕様のない知識とか教養と呼ばれる類のものなのだろう。自らの国の歴史と文化に対する誇り。それを敗戦で心と身体に傷を負った父親と教師から学ぶのは不可能と言うものだったのだろう。魅力的な江戸期から近代の作家群。躍動感溢れる日本の歴史と英雄たち、そのすべては学校の外で自分で身に付けるしかなかった。

司馬遼太郎のベスト・セラーのひとつ「竜馬が行く」は高校1年性の頃に読んだと思うが、学生時代に読めるものは全て読んだ。そこで初めて日本人の文化と文明に誇りを持つことが出来、戦国時代から近代の夜明けまで僕等の国の背景を知ることが出来た。

司馬遼太郎が居なければ、自分は英国人やフランス人に何ひとつ自国の歴史や文化を説明することが出来なかっただろうと思うとぞっとする。もう一人の作家・ジャーナリストの著作との出会いについては次の日記・ブログに書き留めたい。

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