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2009年3月 1日 (日)

 「消された絵師」

消された絵師」・「岩佐又兵衛」異名「浮世又兵衛」と呼ばれた浮世絵師がいた。その名前を始めて目にしたのはテレビ東京の美術番組「美の巨人達」であったと思う。番組構成は「山中常盤物語絵巻」を中心に進められていた。

牛若丸伝説を主題に復讐物語が全12巻、延べ150mを超える大作となり、極彩色で描かれた絵巻である。この番組制作にも深く関わった東大名誉教授、辻惟雄の名前もこの時初めて知った。

僕が「岩佐又兵衛」に深い興味を持ったのは、この浮世絵の創始者が長く日本美樹史上から消された存在となっていたと知ったからだ。辻惟雄を遡ること2代、大先輩の東京帝大教授、藤懸静也により存在を全否定されていた「岩佐又兵衛」は研究そのものが戦後までタブーだったとは何とも刺激的な話ではないか?

その上、この「山中常盤」は当時来歴が不明なまま、昭和3年(1928)にドイツ人に購入され海外流出する寸前に、一出版社の創業者、長谷川巳之吉(1894-1973)の奔走により阻止されているの言うのも劇的だ。この事実そのものが物語になる。

また、「岩佐又兵衛」の生い立ちそのもの悲劇性が僕のような浮世絵を前にした門外漢の目にも新鮮に写る。
「岩佐又兵衛」は織田信長の家来、戦国大名として名高かった荒木村重の唯一の遺児だった言うのだ。

村重は、信長に突然叛旗を翻し、武力では決して落とされることの無かった石山本願寺に味方し、一族がことごとく虐殺されたが、「又兵衛」だけは乳母により助け出されている。世が世なら、仮に、江戸初期でも一介の絵師で終わる身分ではない。

「荒木村重」は自分一人だけが助かり、卑怯未練の大名の代名詞でもある。司馬遼太郎の数少ない戯曲の一つ「鬼火ー摂津守の叛乱」でも取り上げられているのでご存じの方は多いと思う。

それはともかく、辻惟雄のほとんど孤軍奮闘で漸く「岩佐又兵衛」に光が当りつつある。「又兵衛」は地下工房とでも言うべき「又兵衛工房」を持ち落款もない野卑で残酷、それでいてユーモラスな絵巻を大量に生みだしている。それは殆ど劇画を思わせる。また、戦国の血腥さを一身に具現した絵師でもあった。いわば「岩佐又兵衛」は現代の我々に浮世絵を通して戦国を
実相を見せてくれているのだ。

2008年10月14日NHKハイビジョン、2009年2月15日NHK教育の新日曜美術館など、特集で取り上がられることも多くなったのは辻惟雄先生の功績だろう。これからもっと日の目を見て良い浮世絵師「岩佐又兵衛」に注目して行きたい。

参考書籍:

「岩佐又兵衛」浮世絵をつくった男の謎 辻惟雄 文春文庫 2008

「奇想の系譜」 辻惟雄 ちくま学芸文庫 2004

「岩佐又兵衛絵巻」山中常盤物語絵巻 堀江物語絵巻 浄瑠璃物語絵巻 MOA美術館 1982 1992 

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