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2009年3月 2日 (月)

 「国境の南 太陽の西」

人気ブログランキングへ村上春樹の「国境の南 太陽の西」を英語翻訳版で読み終えた。何故そんなことをしているのかと問われれば、誰もあなたにそんなことを聞きはしない。と突っ込まれそうだが既出の殆どの著作を読んでしまい、村上春樹の新作を待ち切れないからだと答えるだろう。

読みたいと思う精神的飢餓状態を癒すには、趣向を変えて村上春樹の翻訳物まで取りあえずは読んで見ようと思うものなのだ。本人が翻訳したカーバーやチャンドラーからフィッツジェラルドまで読んではいるのだが。

英語で「スプートニクの恋人」も同時に読んだのだが、外国語で読んでも、元の著作でも、どちらも哀切極まりない愛と喪失の物語になっているのは当然ながら変らない。みゅーの同性への片思いも愛には変わりは無いのだ。

ただ、「国境の南 太陽の西」の終盤近く”始と島本さんが車で別荘に向かう場面、島本さんは始にどこか遠くへ連れて行ってもらいたい。と訴える。もし、今もし、イエスと言えば二人は彼岸の彼方へと向かうことになる。

それは近松の道行のような、ふたりとも戻れないところ連れて行って欲しいと願う島本さんの気持ちは痛いほど分るが、幸せな結婚を続けている始に踏み切る勇気はない。そして島本さんが二度と始の前に現れることはない。

この場面は英語版で読んでも泣けた。そのほうが直接感情に訴えるようで泣けた。やはり村上春樹は良いと改めて感じた。これほど世界中で村上春樹が読まれるのは、読後のカタルシスに理由があるのだろうか。やはり、心が休まるからだろう。

7,8年前にベラルーシで出会った27,8歳の美女も村上春樹の大フアンだったが、同じような感想を持っていた。その国の首都でも、それほど多くロシアで出版されている訳ではないので、出ているものをぼろぼろになるまで回し読みをするのだと言っていた。

話は変るが昔、僕は大江健三郎に夢中になっていた時期があった。30代で全く読まなくなったが、どんなに無知な10代でも読み続けていれば、ひとつくらい学ぶことはある。大江か彼の恩師、渡辺一男の言葉だったと思うが「人は何故小説を読むのかと言う、問いに答えて、「同時代に自分がどこ居るのかを知る為」と答えている。

村上春樹が熱狂的に読まれる訳もこの辺りに有るのかも知れない。

参考書籍:

「国境の南、太陽の西」 村上春樹 1995 講談社文庫

「スプートニクの恋人」 村上春樹 2001 講談社文庫

「ガルガンチュア物語」 渡辺一男 1973 岩波文庫(お薦めです。)

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