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2009年3月29日 (日)

 新たな本との出会い。

一度目は20代の始めに出会った司馬遼太郎によって救われたことが有ったと昨日・3月29日(日)の日記に書いた。2度目は30代後半やはりパリに住んでいた頃、20代から親しんでいた米国のジャーナリスト、D・ハルバースタムの新たな著作によって救われる思いがしたことを書き留めておきたい。

救われる思いと言うのは具体的には精神の安定という事だ。外国に住んでいると時に人は精神のバランスを崩しそうになることがある。自らが依って立つものが何か?外国に住んでいれば否が応でも個人がその国の、僕の場合はフランスが代表する欧州の文明や文化と向き合わざるを得ない瞬間ということがあった。

その巨大さや圧倒的に迫る文化的圧力に対抗するとすれば、相手の文化の相対化が必要になる。文化はまあ良い。余程の植民地型知識人でなければ今時例えば、日本語もフランス語も論理性では等価であると言うことを否定する者はまずいないであろう。

半世紀も昔、パリ大学で日本語を教えていた森有正と言う哲学者がいた。「彼は日本語はフランス語比べて論理的でない。従って日本語は劣っている。」という馬鹿げた論を展開していた。72年当時、僕はパリで日本から来た私大教授に森有正を知らないのかと呆れられたが、パリで学生をやって居た訳でもない者が知っている義理はない。話をもどせば、

これなどは言語は使う人間が非論理的であれば非論理的展開になると言うことに過ぎない。森某の頭脳構造が非論理的なだけで単なる道具として使われる日本語には何の非もない。事は簡単で、彼が非論理的な植民地型知識人だったと言うだけのことなのだ。

はしとナイフ・フォークを使う文化に優劣などない。欧州でパスタを音を立てないで食べる文化と我が国でそばを音を立てて啜る文化に優劣はないのと同じことだ。ただ、ともするとマナーを取り違えて、日本国内でそばも音を立てずに食べようとする植民地型の人がいない訳ではない。このような人は欧州の価値観に完全に毒された気の毒な人なのだろう。

そんなことで文化に優劣はないと言うは今や僕でも知っている常識だからまあ良い。そこで自分の前に立ち塞がるのは欧州文明だ。ヨーロッパ文明が、大げだに言えば自分に覆いかぶさり圧倒しようとする。時々そんな気がしたものだ。

そんな中ハルバースタムはその著書ザ・ネクスト・センチュリーの中で「世界史上、日本文明が開発途上国だったことはない、」と書いていた。この言葉に僕は非常に勇気付けられたものだ。英語で発表された著作で日本文明が正当に認められた嚆矢だったのではないだろうか。

「The Next Century 」David Halberstam 1991 William Morrow and Company,Inc. N.Y.

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