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2009年4月21日 (火)

 沖縄県教育委員会・金武正八郎教育長の生活。

4月14日付「きっこの日記」の速報「世田谷通信」によれば、

沖縄県立博物館・美術館で開催中の展覧会「アトミックサンシャインの中へin沖縄-日本国平和憲法第九条下における戦後美術」(主催・文化の杜共同企業体)で、昭和天皇の写真を用いた大浦信行氏の作品の展示を見送らなければ展覧会そのものを開催させない。と言う驚くべき圧力が県教育委員会などから主催者側に掛っていたことが明らかになった。

憲法で保障された表現の自由を平気で踏みにじる行為にでた沖縄県教育委員会の金武正八郎教育長について検索して見た。この教育長、地元の進学校を経て県内の国立琉球大学卒業後すぐに教師に採用されている。社会学者・宮台真司が良く言うローカル・エリートの典型だ。この手の人物に取って校長から県教育委員に出世し教育長に上り詰めるのは地方教育界での出世双六では理想的な”上がり”と言うことになる。彼もそろそろ60歳、沖縄県の役人として頂点を極めた者が徹底的に事なかれ主義に走ると姿が想像出来て悲しい。

また、2月中旬から同館で開催されている「石川文洋写真展 戦争と人間」でも、米兵が写っている連続写真の一部「飛び散った体」が石川文洋に無断で同写真展から外されていた事実が明らかになった。天皇をタブー化し、40年前のベトナム戦争当時の米兵の戦場写真にまで気を使う館長や教育長はいったい何を恐れているのだろう。沖縄の生んだ本物の戦場カメラマン・石川文洋の勇気から力を貰ったらと言いたい。

この戦場写真は爆殺された開放戦線兵士の頭に胴体の一部が付いたままの遺体を、カービン銃を小脇に抱え、くわえタバコのまま持ち上げているヘルメット姿の米兵を撮った有名な連続写真の1枚だと思われる。天皇の名の下に戦われ、沖縄出身兵士を含め9万5千人もの県民死者を出した沖縄。復帰後も米軍の側はほとんど占領意識を持続したまま米軍基地を維持し、その結果米兵による犯罪被害を受け続ける沖縄。そして、本土からの兵士を含め25万人もの戦死者を出した沖縄が本当に本土に復帰出来る日とは、沖縄から米軍基地がなくなる日だろう。

沖縄出身者であれ、体制側で飯を食い続けて晩年を向かえれば,本土出身の役人や政治家と同じ考え方となり、同じ沖縄県民を抑圧する側に回るという無残な姿を見せられるのは何ともやりきれな い。  このような晩年は送りたくないものだ。

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