台北にて。
4月5日(日)に放映されたNHKスペシャル「JAPANデビュー」で1895年に始まる帝国日本による台湾統治が、当時植民地支配に長けたヨーロッパの強国のひとつフランスを手本に、どのような経緯を辿り、50年後にいかなる終焉を向かえたか。番組を観て自分なりの感想を書き留めたところ、いくつかコメントとトラック・バックを頂いた。
それについてはここでは触れないが、5年程前に旅行客として妻とふたりで数日間台北を訪れたことがある。目的は「故宮博物館」の収納物を見学すること。そして今評判の中華料理を堪能することのふたつ。もちろん、どちらも素晴らしく僕等の期待を裏切らなかった。とりわけ「故宮博物館」には感激した。過去に何度か訪れて好きになった博物館・美術館がいくつかある。お勧めの博物館をここで挙げてみる。ます、トルコ・アンカラ郊外に位置する「アナトリア考古学博物館」。酔いどれ中川に思い出を汚された感じのするローマの「バチカン博物館・美術館」。仏・トゥールーズの「トゥールーズ・ロートレック美術館」などは機会があれば訪れて欲しい。そんな中で「故宮博物館」は好きな博物館の筆頭に挙げらるように思う。
さて、短い台湾滞在中に、妻と僕は空いた一日でテレサ・テンのお墓にお参りすることにしていた。それをまるで察していたかのように、顔見知りになったホテルのコンシエルジュが何か用はないかと僕等に声を掛けて来た。
宿泊客相手に商売をしようと言う訳だ。そこで僕らの希望を彼に話し、翌日セダン一台と日本語の解る運転手を用意して貰った。帰りにちゃんとお茶屋さんに連れて行かれたのはご愛敬だったが、これは余談。
この悲劇の歌姫は日本でも報道されているように、台北郊外の閑静な山の中に位置する広大な墓苑の山頂に葬られていた。二人で何度も手を合わせ、記念撮影に写真を一枚、運転手さんに撮って貰い、さて車を廻して貰う段になってトイレを済まして行くことにした。高速に乗っても、往復2時間強の距離に墓苑は建設されていたから、用心に越したことはない。郊外へ延びる高速道路は素晴らしいもので全く渋滞もしていなかったが、帰りも結構時間が掛かると予想出来たからだ。
すると墓苑の頂上から緩やかな坂道を降りる途中に、綺麗なトイレが見えた。辺りに人もなく、この日は大型観光バスも1台位しか見かけない、穏やかな昼下がり。あたりはうす曇で小雨が降っていた。親切な中年の運転手さんが傘を貸してくれたが、それを差すほどのこともなかった。 妻がトイレに入り、しばらくすると目の前に白髪を短髪に刈り込んだ熟年台湾人男性と妻が仲良く話をしながら僕の前に現れた。中国語は妻も僕も挨拶程度しか出来ない。この老年に差し掛かった男性は、きれいに工事しようとしているトイレと売店を管理している人らしく、親切に中に通じる通路の電灯を付けて、使えるほうの婦人トイレに案内してくれたのだと言う。それは紛れもなく完璧な日本語だった。「何年か振りで日本語を話したよ。今はやっと民主主義の世の中になった。 前は人前で話せなかったね。」と嬉しそうに日本語で僕等に語りかけてくれた。背後の歴史を思うと言葉に詰まる。しかし心温まる親切は身にしみた。
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