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2009年4月22日 (水)

 「マッド・マネー」 1930年代の恐慌に学ぶ II

大恐慌の欧州での拡大について経緯をスーザン・ストレンジは次のように述べている。

●兆候はオーストリアの小さな銀行破綻で始まった。それをきっかけに世界経済が新たな不況とデフレに陥り、そこから回復するのに長い年月 ー  そしてひとつの世界大戦ーを必要としたのは、なぜだろうか。

●キンドルバーガーは覇権安定論と言う概念を創り出し、指導国が最後の貸し手になると同時に、投売り的に輸出される商品に対して市場を開放しシステムを管理する必要があったと主張した。(1973) 
(今日まで、様々な回答をたくさんの経済学者が示したにしても、1990年代の著者を含めた経済学者達は彼は正しかった。と見ている。)ここからは、大恐慌がおこり、世界経済が破綻する前に取れたであろう予防行動についての教訓から学んでみよう。

●既に幾つかの国内銀行の破たんを経験していたドイツ・フランス・イギリス・アメリカなどの中央銀行は、31年が明けてすぐ、いずれも公的な基金を設立することを提案していた。 イングランド銀行はBIS(国際決済銀行)が管理する共同基金を提案した。このイギリス提案はその後62年に導入されたGAB、金融の信認回復(ドルやポンドの金詰りを起こさせないこと。)に必要な流動性を前もって提供する。に先立つ協定の本質に似ている提案だった。

●しかし、フランスとアメリカはいずれもイギリスに不信感を持っており、これは自国の輸出市場の財政再建を狙った念入りな計画ではないかと疑い、折角の 提案を支持しなかった。こうしてオーストリアの小さな銀行は破綻し、オーストリアは国際連盟の金融委員会に救済を求めたが、たらいまわしにされ融資は遅れ、「融資の出し惜しみと遅れが重なって、惨事を招いた。」のだとキンドルバーガーは主張している。

●なぜ、融資は遅れに遅れ、出し惜しまれたかは、ふたつの理由があると言う。ひとつには問題の銀行が以前に買収した銀行が、資本の二倍近い負債を抱えていたことが後からは判明したこと。それは日本の銀行が、これが書かれた1997年の話として、返済されることのない「不良債権」を隠す技術に長けており、始末に終えないことと通じる。この不名誉な事実はアメリカ、欧州の銀行でこそ2008年に頻発することになるのは皮肉だ。

●もうひとつは金融破たんの伝染性である。このオーストリアの小銀行が破綻する前でさえ、問題は中欧の大半とドイツに広がっていた。結果、ドレスナーやドイツ銀行と言った大銀行からは大量の預金流失が起こり、中央銀行であるライヒスバンクは預金準備から金を失っていた。ドイツは賠償金をフランスに支払えず、フランスはアメリカに戦時債務が払えなくなった。

●しかたなく、アメリカ、フーヴァー大統領は全ての政府間債務のモラトリアム(支払い猶予)を提案することになった。ただ、民主主義国は手続きに手間取る。その間にBISを通じたドイツへの融資は消えてなくなり、フランスが31年7月に同意したときにはイギリスにまで広がった危機を食い止めること出来なかった。ポンドは31年まで金と交換出来、しかも金には付かない利子がポンドには付いており、ポンドがスイスやオランダにより一部引き出された。イングランド銀行はFRBとフランスから融資を受けたが金額は少なすぎ、民間の銀行からの融資を利用すると市場に狙い討ちされるので、それが使われることは無かった。(この一節は2007、8年に起きていることと全く同じ。)それにイギリスの政治的混乱が重なり、1931年9月、イギリス政府はポンドと金の兌換を永遠に停止した。

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