« いまでも弁証法的発展があっても良いではないか。 | トップページ | 第1章 第四話 知らないことでも、知ったかぶりをするフランス人 »

2009年5月31日 (日)

第1章 周作もどき  第1話~第3話

人気ブログランキングへ 小説 若気の至りは熟年まで続く。

第一話 最悪の出会い

972年6月、何も知らない糞若造の俺は異国のとある空港に着いた。所持金は5万円だけだ。俺は日本での勤め口に事欠いてビザもないまま、月給200ドルで現地の会社に雇われて、欧州の大都会にやって来た。口約束で欧州へ行くのになんでアメリカドルなのか、少し奇妙な気もしたが、そこは深く考えもしなかった。事前に出る前に決まっていた雇用条件はそれだけだった。K県の私立大学、それも2部経済を出ただけの俺は、その当時、就職活動も何もしなかった。並の学生のように就職活動をしても、碌な就職口もないだろうと想像だけは付いたからだ。昼は大学近くの米軍基地の中で俺は働いていた。本国の両親、妻や恋人からベトナムの戦場に送り出された兵士宛てに配達され、その後兵隊に届けられなかった手紙がこの基地内にある陸軍郵便局に一旦集められ、くる日もくる日も「宛先不明」「差出人に返送」スタンプを押し、元の送り主に戻す作業をして、俺は日々を過ごしていた。同僚は白人、黒人の兵士達だけ。そこは日本の中の典型的な外国だった。そのころ、俺達の外国は取りも直さず米国だった。今でもほとんど実情は変わらないが。ただ、俺はひねていたので、すんなりアメリカに被れてはおらす、愛読書は「マルコムX自伝」だった。後に「ルーツ」の著作で有名になるA・ ヘイリーがマルコムXから直接聞き書きをした古典的名著だ。マルコムはアーサー・ヘイリーとの面談を繰り返し、ようやく完成した自著を見ることなく暗殺されてしまった。当時はブラック・パンサー活動など黒人運動が先鋭化し、武装闘争などが叫ばれていた。俺の仲間達は黒人作家の書いたものを多く読んでいた。もっとも、殆どは日本語に訳されたものだったが。

それはさておき、着いた空港の旅券審査を過ぎたあたりで、日本を出る際に聞いていた特徴通りの、俺の雇い主の現地事務所長と思しき男を見つけた。背の高い、度の強そうな眼鏡を掛けて痩せた三十男だった。男は、この回想録が掛かれている現在、亡くなってすでに久しい小説家の遠藤周作によく似ていたが、彼より品性も育ちもだいぶ悪そうに見えた。もっとも実際の周作もだいぶ捻くれているのは後で知った。

実際のところ奴は若造の俺を無視し、近くに居た背広姿の男にいきなり「ナイトツアーは如何ですか?」と大声で話し掛けていた。それに性格も見るからに悪そうだ。俺にはこの男の言っている言葉の意味は分からなかったが、「ああ、こんなところでも客引きをしている男がいるのだな」とはなんとなく判断出来た。後々、分かることだが、この男は会社にではなく、自分のポケットに儲けを入れるために熱心に営業を繰り広げていたのだ。

さて、周作を悪相にした、俺の現地での雇い主らしきその男は「あんたは会うなり、ナイトツアー、ナイトツアーとしつこいんだよ。挨拶も現地情報の説明もないの!。第一、あんたのところのは高いよ!」と背広姿のサラリーマンに撥ね付けられていた。この周作もどきは尚もねばり、「いや、うちの席はかぶりつきですから!!」とまるで場末の小屋の呼び込みそのまま、ひるむことなく、この地の雰囲気と周りの服装に全くなじまない、七三分け、背広姿サラリーマンに尚も食い下がる。

「そんなことは良いから、荷物をポーターに集めさせてよ!とそのサラリーマンに拒絶されて、奴のあけすけな営業はあえなく失敗、儲けそこなった上司になるらしき男は恨めしそうな目つきで勤め人の側を離れると、その様子を眺めている俺を見つけ、ようやく俺に気付いたような振りをして見せた。「君が東京から来た小林君か、早く、そこのポーターに荷物を集めさせろ!!」と経験の全くない俺に無茶な命令を下す。俺は近くで団体客のスーツケースを大型の荷車に山と積んだ作業着姿のポーターらしき白人男を見つけ、周作もどきの方を指差し、何とか俺の意を通じさせた。

ポーターに同じ色と形の荷札の付いたスーツケースをターンテーブルから降ろしように指示し、荷物の数を地味な背広男から聞いた上でポーター頭に伝えた周作もどきは30人程の女性ばかりの団体客を空港の外のバスに案内した。どうも、この男、ガイドの真似事も始めるつもりらしい。ポーターに荷物を積み込ませ、現金を払い終えた偽周作は俺にも同じバスに乗るように身振りで示し、やおら、バスのマイクロフオンを握り、傍らの運転手に出発を告げ、バスが走り出すと同時になにやらマイクに向かって話始めた。

話の内容は旅行客に対する注意事項や通貨の換算率のようなことで聞いていてもつまらないことおびただしい。外の風景は郊外の高速道路を走っているだけだから単調この上ない。ただ、空港から市内へ向かう道路脇に、その頃はまだ、就航前だったコンコルドのレプリカが人目を引いた。もちろん、中身は空だ。エンジンも座席もなにもない。大きな田宮模型と同じと思えば良い。

第二話 先が思いやられる。

40分も走ると貸切バスは高速道路を降りて、左岸から市内に入って行った。俺はバスの窓越しに見える街角の風景にただ驚いていた。初めての体験なのだから無理もない。どこまでも続く石造りの建物はどれも巨大で威圧的に見えた。偽周作のつまらない説明を聞くともなく聞いていると街の真中と思しきところに位置する、古いヨーロッパ調ホテルにバスは横付けされた。凄まじい勢いで自家用車や商用車がその脇を通り抜け行く。

我が団体客の一番後ろから降りた俺は差し当たりやることも無く手持ち無沙汰に狭いフロント廻りに立たずんでいた。あらかた、団体客が部屋に上がると偽周作は俺にパスポート番号を教えろと言う、俺がパスポートを取り出すのに時間を掛けていると「パスポート番号位、暗記しておけ」と無茶な叱責が飛んで来た。俺は「この野郎」と内心思ったが、まずは「済みません」と素直に謝った。初めて取得した、発行されたばかりの旅券番号など覚えているはずがないではないか!その日から

周作モドキと俺の1年に渡る「戦い」は始まった。

第三話 フランス人は知ったかぶりをする。??

その日の夕刻、俺はようやく一人になり、この街全体が生きた博物館の回廊のような歩道を歩いた。夕刻の7時を過ぎても日が延び始めたこの街の回廊で俺は歩道に張り出した丸テーブル席に座り、生ビールを注文した。隣りに座っていた太った中年の男が俺に話し掛けて来た。「あんたは日本人とのことだが、大西洋側のピレネー山脈の両側、スペインとフランスの国境沿いに住むバスク人の言葉について知っているか?日本語と祖先を同じくするそうだが。」と言って来た。すんなり、その話が理解出来たわけではなかったが、知っている単語と想像力で大意は理解出来た。「そのような話は聞いているが、文法の複雑さが似ているらしい、どうも、語順も似ていると言われている。日本人とバスク人との人種的なつながりは何ら証明されていない。」としどろもどろで答えた。表現力も単語の量も絶対的に不足していたので、それ以上は会話も進まず、そこで尻切れトンボに終わった。これは俺の話の段取りが悪いからだろうと長い間思っていたが、後年、度々同じような経験するのだが、どうもこの国特有の知ったかぶりも関係あるのではないかと思い始めた。ある事を少し知っていると,さも全て知っているように話す傾向が強いし、何も知らなくとも知らないと彼らは絶対に言わない。

|

« いまでも弁証法的発展があっても良いではないか。 | トップページ | 第1章 第四話 知らないことでも、知ったかぶりをするフランス人 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1210330/29872880

この記事へのトラックバック一覧です: 第1章 周作もどき  第1話~第3話:

« いまでも弁証法的発展があっても良いではないか。 | トップページ | 第1章 第四話 知らないことでも、知ったかぶりをするフランス人 »