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2009年7月 9日 (木)

サリン現場十年目の回顧

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第四章 視えない風景のなかへ

「鬼畜」対「良民」だったのかーーーサリン現場十年目の回顧

辺見庸はあの日偶然、地下鉄神谷町の駅でサリンの撒かれた現場に行き合わせた。彼自身がもう少しで被害者になる危険性もあった。しかし、「ああ、自分も危なかった。もう少しで被害者になるところだった」と彼は地下鉄サリン事件を回顧している訳ではない。

辺見庸はそこで唖然とさせられるひとつの光景を目にする。それは自分の眼の前でバタバタと倒れるサリン被害者を眼の端に捉えながら、誰を助けるでもなく、被害者を跨ぎ避けながら、殆どの乗客は改札口へ急いだと言うのだ。誰も眼の前で泡を吹いて倒れる人たちを助けることを考えもしなかったと言う。乗り合わせた通勤客はみな始業時間に遅れまいとその場を離れて行く。

辺見庸自身は一人の外国人を改札口から急な階段を上り切り、路上へと助け上げている。その際、肩口に大量の吐しゃ物を掛けられていたのに彼はあとで気が付いたという。脳溢血で倒れる前の辺見庸は日本人にしては大柄ながっちりした体形だったように思える。自身、病気になる前は喧嘩になれば勝てると思っていたという。外国人、あのあたりは場所柄、外資系の会社や欧州系の大使館も多く点在するから、その男性被害者を助け上げるには力も上背も必要だったろう、辺見庸でなければその被害者の救助は覚束なかったのだろう。

テレビで我々が観た地下鉄サリン事件の現場は当然編集された後の場面だ。そこには乗客や駅員によりプラットフォーム上で介抱される被害者が映し出されていた。我々は介抱場面を当然の如く観ていたが、それは一種の予定調和により編集されたシーンを見せられたいたとは驚きではないか。ただ、自分がその場に居合わせたら会社の始業時間を無視して被害者の救護に積極的に動いたかどうかは自信がない。

辺見庸はその後地下鉄サリン事件裁判法廷を傍聴するが、加害者が「鬼畜」で被害者が「良民」と一方的に括ることは出来ないのではないかと書く。事件現場での乗客や記者、警察官の酷薄な振る舞い、自分の領分のみに生真面目な群衆というのは「良民」でなく、加害者と同じ地平に立っているのではないかと、この10年間折りにふれ考えて来たと彼は書き留める。法廷で加害者が見せる麻原に対する従順さとあまりにも生真面目なふるまいは、サリン被害者を
跨いで職場へと急ぐ酷薄な群衆の行為とどこかでつながっているのだろうと書いてこの章を閉じている。
深く、慄然とさせる事実の記録ではないか。

参考書籍:

「自分自身への審問」辺見庸著 角川文庫 2009

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