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2009年9月11日 (金)

「1Q84」と「国境の南、太陽の西」 

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最新の「世に倦む日日」ブログを覗いて見ると8日から連続で村上春樹の「1Q84」が取り上げられていた。どこかの雑誌にブログ主は「1Q84」の批評を依頼されていたらしく、一文を寄せていると言う。村上春樹自身は他人の小説批評は読まないことにしている、と何処かで書いていた。まあ、確かに小説と批評は別物だ。僕も村上春樹の小説はブログ主同様に大好きで、デビュー作の「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」以来のファンだが、村上春樹にまつわる批評本は読んだことがない。僕には現代小説の批評本など読む必要があるとはどうしても思えない。小説を読むと言う行為は陳腐な言い回しだが、その小説と読者個人との私的な関係でしかない。読者が想像力を駆使してその小説世界に入り込めればそれで良いのだと思う。手に取った小説がつまらないと思えば途中で投げ出すのも自由だ。教科書と違い別に誰に強制されて読むものでもない。周りのだれもかれもが良いと言っても自分の感性に合わなければそれまでだ。現に芥川賞の選考委員たちは、その当時は大江健三郎達だったそうだが、自分たちの感性に合わないからと落選させているのだ。今から振り返れば、専門家の批評など何の当てにもならない良い証拠でないか。
さて、「1Q84」に話を戻す。天吾と青豆は永遠に出会うことはない。ふたりの永遠の純愛を成立させるために用意されたふたりの関係からは決定的に遮断された放埓なセックス。そして青豆の天吾への無償の愛と自己犠牲。切ない別れ。この間7年。あまりに長い間村上春樹の新しい小説が出ないものだから、英語に翻訳されているものを何冊か読んだ。その中でも「国境の南、太陽の西」を再発見した気分だ。もともと好きな小説だったが、島本さんとハジメの哀切極まる別れ。「1Q84」と共通するのはふたりは小学校のころからの知り合いだったという点だ。異なる点は青豆と天吾は口を利いたこともなかったが、ハジメと島本さんは幼なじみだったことだ。もうひとつ共通するところはそれぞれのヒロインに身体的特徴があることだ。それがどんな暗喩なのかは僕は分からない。僕が理解出来たのはふたりのヒロインがそれぞれの物語の中で素晴らしい大人の女になっていることだ。村上春樹の物語に登場するヒロインは誰もが素敵だ。これが小説を楽しむということだろう。余計な批評は無用だ。

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