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2009年10月10日 (土)

ノーベル賞の政治性

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やれやれ今度は合州国大統領のオバマにノーベル平和賞か、過去には文学賞の授与を拒否したサルトルのような存在もいたようだが、平和賞を拒否した例は聞かない。大体に賞とは愚劣なものだ。その最たるものが勲章だが、賞は与える側の権威付けに利用される。国家であれ、団体であれ、貰う側より与える側の利益のほうが圧倒的に大きいのだ。本多勝一がかつて「貧困なる精神」のどこかの号で書いていたが、こんなものを貰うのに推薦人の存在と小説ならイギリス語で翻訳出版されていなければならないのだ。イギリス語でまずは流通していなければ候補にすれならない。こんな馬鹿なことはない。翻訳が悪いと言っているのではない。イギリス語が母語か、それに近いインド・ヨーロッパ語で書かれたものが圧倒的に受賞には有利と言っているだけだ。これだけでもノーべル文学賞の不公正さがあからさまではないか。かつて東西が東ベルリンで閉ざされていた時代、バステルナークの「ドクトル・ジバコ」に文学賞を与えようとし、ソルジェニーツインの「イワン・デニソビッチの一日」には授与することに成功した。それなら、文学性も完成度も高く、世界的にも絶賛を浴びたアーサー・ヘイリーの著作「マルコムX自伝」はなぜ受賞出来ず、ノミネートさえされなかったのか。当時の北米に媚を売り続けても、体制の恥部をこれでもかと暴いた著作には賞など与えるはずがない。マルコムXは著作の完成を見ずに暗殺されてしまったが、アー^サー・ヘイリーは長く生きた。故人に与えられることはないという反論には予めお断りをいれておこう。ベトナム戦争にあれほど加担した佐藤栄作にノーベル平和賞を与えてた一件だけでも信用できないのに、金大中の受賞も相当問題がある。人権侵害と強制収容所での拷問・虐殺が日常化しているキムジョンイル政権に数百万ドルを持参した上での見返り受賞だ。南北朝鮮に平和も訪れず、北朝鮮の人権状況がわずかでも改善した訳でもないのはご存知の通りだ。それどころか核兵器の開発と弾道ミサイルの精度向上に利用されただけの受賞ではなかったのか。

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