湯浅誠の中間層論

10月23日(金)の「世に倦む日々」は湯浅誠の中間層論とブログ主が主張する中間層の反動化が論評されていた。比較的弱い立場に立たされている中間層が貧困層に牙を向くと言う論評には昨年の派遣村に反感を抱く中間層サラリーマンの反応から頷けるものがある。大衆層というものは厄介なもので、自らを抑圧する上の階層に反抗心を抱くことなく、自らより下層に対して敵意を持つ傾向が歴史的にあると書く。この中間層の反動化は戦前回帰につながり、極めて危険な予兆を近未来は孕むことになる。丸山真男の亜インテリゲンチャ論を待つまでもなく、中間層大衆は簡単に反動化するものなので危険な存在なのだとの認識が僕らにはまず必要だろう。世に倦む日日ブログ主世代は中間層を肯定的に捉え、湯浅誠の世代は中間層を否定的に捉えていると言う認識の二分化論はとても興味深い論評だった。ブログ主により「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫) (文庫) マックス ヴェーバー (著), 大塚 久雄 (翻訳) について、肯定的中間層形成の思想的背骨はここから出発されていると同ブログ内で言及されていたが、マックス・ウエバーのこの著作は随分以前に司馬遼太郎が自らのエッセイで下層武士階級の倫理感の類似性から同著を紹介されていたので、すぐに手に取り読んだ覚えがある。湯浅誠の出番は25日(日)のサンプロでもあり、戦略室参与とし菅副総理に参画を要請されたいきさつがまず紹介され、貧困率の算出がようやく実現したことが言及された。湯浅誠は明らかに野放図な地方分権には反対で、貧困、雇用対策が各自治体で実行に移されるにしても国によるシビル・ミニマムが担保されなければ、権限を地方自治体に移すのは反対だと番組で述べていた。それはその通りで、国の責任があいまいになるような貧困対策など採用されてはならない。
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