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2009年12月30日 (水)

ドラマ「坂の上の雲」を見ながら考えたこと

春や昔 - ドラマ「坂の上の雲」を見ながら侍の革命政権の夢を見る」と言うテーマの12月28日付「世に倦む日々」ブログを覗いて見た。ブログ主と同様に筆者も小説「坂の上の雲」は数回読み返している。30代では単行本を全て揃えて読み、国外への引越しを繰り返ししているうちに散逸してしまい、その後は文庫本で読み返している。19世紀後半は剥き出しの帝国主義の時代だったのだとこの小説を読みながら何度も実感し、明治国家創世記の日本軍人の多くは下級武士出身であり、ロシア軍人のそれはほぼ全員が貴族出身であることが何度も強調される。もちろんそれは士官、将官に限った話だ。ただ、両軍に召集された兵士にも際立った違のあったことが分かる。それは日本陸海軍兵士もロシア軍の下級兵士も庶民階級出身であることは変わりないのだが、当時のロシアには悪名高い農奴が制度として残っており、ほとんどの庶民は読み書きが出来ず、日本の農民や町民は封建制度下の庶民とは言え、「読み書きそろばん」は身についていたと言う事実だ。司馬遼太郎は江戸後期の庶民は「商品経済」の波に巻き込まれており、ある程度利発でないと商家の手代・番頭にはなれず、農民としても庄屋階級の手代にすら出世出来なかったからだろうと書いておられた。それは日露戦争の最前線では錬度の違いとなって現れ、両軍の士気も大きく違っていたと言う。ロシア軍兵士は農奴出身でみずからの上官である貴族に親しみは持てず、帰属意識も生まれなかったが、明治国家草創期の庶民は国民国家の兵士としての士気が極めて高かったと司馬遼太郎は言う。士官・将校の多くはほぼ自分たちの出身階級に近かったから、戦闘では一体感が生まれ、日本人庶民兵士にとっても目の前の戦争は祖国防衛戦争そのものだった。もちろん、一番の被害者は戦場とされた中国の庶民に違いはないのだが。

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