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2009年6月28日 - 2009年7月4日

2009年7月 4日 (土)

橋本・東国原連合は台風の目になる

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案の定、東国原宮崎県知事叩きが週刊誌で本格化して来た。まずはみんな知っているそのまんま東の軌跡をおさらいしてみよう。この少女買春で逮捕され、テレビ出演の道が断たれた元お笑いタレントが、窮余の一策で辿り着いたのが宮崎県知事選挙への挑戦だった。彼に取っては格好の再就職先となった訳だ。自分が目立てば何でも良い、東国原に取って、前知事が汚職で逮捕され、転がり込んで来た宮崎県知事の椅子は東に取っては瓢箪から駒だったのだ。
仮にこの知事選に落選しても元タレントとして名前が露出出来れば自分にとって損はないとしたたかに計算した上での知事選出馬だったのだろう。

予てから大方の政治通が自らのブログで書いているように、これから橋本・東国原の連立、新党の立ち上げが政治日程に上るだろう。財界が資金を出し、自民党の大物が裏で操り、彼らに取っての傀儡として第三勢力を創らせる。
仮に次期衆院選で民主党が政権を取っても小さな中央政府・道州制をスローガンに掲げれば、自民党の改革派・悪名高い新自由主義者たちの受け皿となって、民主党政権を一回きりで空中分解させる恐れさえ出てくる。

「世に倦む日々」ブログが朝日新聞・編集委員・星 浩を長い政治記者経験の割には政局予測の眼が曇っていると批判している。その批判された星 浩は今朝の朝日新聞朝刊17面・政治コラム「政態拝見」で「絵になる」より「質」を探ろう。というタイトルで凡庸にも「テレビ政治」「劇場選挙」の危うさを4年前の総選挙を例に取り
警告して見せている。事態は星 浩の想像するよりずっと先へと進んでいる。僕等私達は第三勢力の背後に誰がいるのかを見極めなければならない。テレビ・新聞は僕等私達の味方にはならない。そのことは肝に銘じよう。

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2009年7月 1日 (水)

経団連に買えないものなどない

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辺見庸の「自分自身への審問」角川文庫版を読んでいる。第一章 死、記憶、恥辱の彼方への中に「腐った民主主義国家」という一節がある。「自死したフランスの哲学者が言ったというのですが、いや誰ガ言っても良いのだが、こんなことを言っている」。

「資本主義には普遍的なものが一つしかない。それは市場だ。と言うのです。すべての国家は市場が集中する場であり、その証券取引所であるにすぎず、富と貧困を産み出す途方もない工房である、と語るのですね。で、以下の説に
僕も注目します。「人類の貧困を産む作業に加担して骨の髄まで腐っていないような民主主義国家は存在しないのだ」[私たちはどうしても資本主義のお楽しみを祝福する気にはなれない」。ここではいわゆるリベラルな考えや貧困、腐敗、民主主義、市場原理...などを対立概念とせずに、親和的で共犯的な関係とみています。ライブドアの騒ぎのとき、「お金でジャーナリズムの魂は買えない」みたいな反発もありますが、失笑ものでした。魂が買えないとしたら、とっくの昔に売り渡されているからであって(笑い)、市場は戦争も愛もセックスも臓器もジャーナリズムの魂とやらも、その気になりさえすれば市民運動だって合法的、民主的に売り買いするからです。

少々引用が長かったが、そこで「世に倦む日々」6月30日付けの記事の出番となる。黒幕である財界・経団連はテレビを使い橋本と東国原を担ぎ出す。政治信条に定見の無い二人を新自由主義の旗手として財界は自民党を代理人に据え、橋本と東国原を買い取る。テレビ・マスコミに宣伝費をつぎ込み、自民党を使い2人の売り出しにたっぷり資金を注ぎ込む。
テレビ好きの大衆はこの企てに簡単に乗る。それが自分たちの不幸を呼び込むことも知らずに。財界に買えないものなどない。かくして新ファシズムは僕等私達の住まいのドアを叩く。

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2009年6月30日 (火)

麻生謀略内閣の末路

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情報発信力が高く、その上何よりも志の高い、いくつかのブログは麻生内閣が発足した当初より、その末路を予想していた。例えば、有料ブログの「世に倦む日々」は麻生太郎の酷薄で残忍な性格を見通しており、自分のことしか
考えない麻生はサミットに出席するまでは絶対に辞めない。と早くから断言していた。

麻生は庶民のことなどこれぽっちも頭になく、案の定消費税は15%に直ぐにでも上げたいと言い張っている。当然次期衆議院選挙でむりやりにでも自民党マニュフェストに載せようとするだろう。ぶら下がり記者会見を見ても分かる通り、麻生は若い記者をいじめたくてしょうがない。ぶら下がり会見が長ければ、その酷薄な性格が垣間見られるかも知れない。

もっとも、いつも権力に寄り添うテレビでは、肝心の場面は編集されてしまい放映されることはないだろうが。それでも今の時代、ユー・チューブでネットに配信されないとも限らない。まあ、そんな勇気のある人間がテレビ局の内部にいるとも思えないが。

その良い例が今、話題の郵政・西川社長だ。先日突然ふら下がり会見に応じた際に記者の質問に逆切れし、その記者を怒鳴り上げている。その一部始終はテレビカメラに収められていたはずだが、どこのテレビ局のニュースでも、その場面はカットされていた。もちろん、ネットの速報記事で詳細は流されたが、文字情報と映像では観る者に与える衝撃度が違う。

話を戻すと、もうひとつの有名ブログ「きっこの日記」では麻生太郎はフロッピーでチキンと度々形容されている。直前に有った人に簡単に説得されていまい、全ては支離滅裂になってしまう、その薄っぺらな頭脳。何ひとつ決断出来ず、直面する危機からは逃げ回る麻生太郎の臆病さを言い当てていておかしい。かくして麻生謀略内閣の断末魔が聞こえてくる。

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2009年6月29日 (月)

第2章 第6話 日本から来たお嬢さん

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小説 若気の至りは熟年まで祟る

さて、3人しか居ない事務所の中で、ひとり育ちの良さそう30歳位のお嬢さんが働いていた。どうも、日本の有力者から預かっているお嬢さんのようで、あれほど女好きの周作モドキがそのお嬢さんには全く頭が上がらなかった。彼女はじきに日本に帰ることにしていたようで、帰国前の1年ほどのビザ残存期間、腰掛け的に、現地業者との交渉事を一手に引き受けていた。俺は女史の経歴を知りもしなかったが、大学の中途から現地で教育を受けたような印象を受けた。60年代後半に欧州留学出来る層はまだ、極めて限られていた。60年代初頭、国内で短大を含めて大学と名のつくところへ進学出来た高校卒業者は1割位のものだったそうだから、当時留学出来た彼女は極めて恵まれた階層から出て来ていたのだろうとは簡単に想像出来た。

そのお嬢さんは周作モドキのことを・・・氏と呼んでいた。ずいぶん年上に見えた彼を格下扱いし、全く尊敬もしていなかった。あなたとは育ちが違うと彼女の顔にははっきり書いて有った。彼女にはある種の育ちの良さから来る無意識な残酷さがその口調からも垣間見えた。その狭い日本人社会とそこで生きる同朋への徹底した無関心が、なおさら、そのような印象を俺に深めさせた。華奢で色白、高い鼻梁が彼女をことさらに理知的に見せていた。週末、彼女は自らの階層に属するであろうフランス人達とヨット遊びをしたりして楽しんでいたようだ。会話の端々で、そのような光景が想像は出来たが、俺には実際のところ夢のような話だった。田舎で育った俺のところに海はなく、平野はどこまでも稲穂が地平線を形作っていた。春にはひばりが鳴き、秋には鬼やんまや赤とんぼの舞う、のどかな田園風景がどこまで続く。

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2009年6月28日 (日)

「須田敦子を読む」 湯川 豊著

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朝日新聞、日曜朝刊・読書欄に「著者に会いたい」というコラムがある。6月28日付け同コラムのタイトルは「須賀敦子を読む」となっていた。著者は文芸春秋の編集者だったと言う湯川 豊さん。僕にとってはもちろん無名の著者だが、「須賀敦子」の名前に惹かれコラムに眼が行った。

一応、本読みを自負する者の一人だが、2,3年前に書店で須田敦子全集の一冊を手に取るまで、その著者の名前すら知らなかった。その一冊とは、ここで取り上げられている筑摩文庫版の第1作「ミラノ霧の風景」だった。彼女の著作を手に取り、その場で数ページ立ち読みし、その透き通るような文体にたちまち引き込まれた。

その後1年程掛けて筑摩文庫から全集の一冊が出版される度に読み進み、現在出されている5冊を全て読み終えた。ただ、僕の手元には一冊も彼女の著作残っていない。それは自分が感動した本は周りに薦めたい。誰でも家族や友人に読んで貰いたいと思うものではないだろうか。

僕も感動した本はやたらとひとに薦め、あげてしまう悪い癖がある。彼女がヨーロッパに渡ったのは第2次世界大戦の傷痕も癒えてはいない1957年頃だったと思う。彼女の深い学識はカトリック思想に裏打ちされているが、それは最初フランスで、後にイタリアでもカトリック教会の庇護も受け、実践的に学び、学位まで獲得したものだ。

彼女の生涯に渡る誠実さ。実生活に裏打ちされ、社会的弱者を守ろうと夫ともに奮闘し続けたそのまなざしの優しさ。僕は他の人にもその優しさと誠実さを彼女の著作を読んで知って欲しかった。そこで、時代は全く異なるが、その時代から30年から40年後に掛けてフランスで教育を受けた家族の一人とイタリアで学んだ若い知人の一人にそれぞれ一冊づづ読み終えた著書を手渡した。

読後の感想は聞いていないが、時代が違うとは言え、外国で言語と文化を獲得することが如何に大変だったかを僕は彼や彼女知って欲しかったからだ。須賀敦子が留学した時代、それは学ぶと共に自分の力で食べて行かなくてならなかった時代だったのだ。彼女の全集にはその時代、欧州で暮らした須田敦子の、そして日本人留学生たちに共通する痛切さが滲む。そのようにしてしか手に入らないものがある。それは現代でも同様だろう。

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