« 2009年7月19日 - 2009年7月25日 | トップページ | 2009年8月2日 - 2009年8月8日 »

2009年7月26日 - 2009年8月1日

2009年8月 1日 (土)

「出羽の守」と揶揄する意図

人気ブログランキングへクリックよろしくお願いします。

「出羽の守」と揶揄する意図

一頃、イギリスでは、フランスでは、米国ではと言い立てる出羽の守」と揶揄される、欧米からの帰国者達が居たものだ。大概は2週間余りの海外旅行で知ったかぶりをする旅行者に被せられた「守の位」だった。揶揄する側は少しばかりの愛国心と嫉妬混じりで「出羽の守」を詰ったのだろう。デハノカミと揶揄するが、それがたわいもないことであれば、なじるほうも、なじられるほうも別に問題視することでもない。微笑ましいくらいの話だ。

たとえば、欧州の街角では店頭の果物や野菜にむやみに手を触れないとか、パリのカフェではコーヒーに熱々のミルクをたっぷり注いでくれるのがカフェ・オレだとか。このような些細な習慣の違いを欧米帰りの旅行者が無邪気に触れ回るのをたしなめる程度に彼や彼女個人を出羽の守と呼ぶならそれはまあ良い。言うほうも言われるほうも、お互いに実害は全くない。

問題なのは優れた社会的セイフティネットを構築している北欧やフランス、オランダの諸制度を識者が取り上げると出羽の守とレッテルを張り、声高に非難する似非知識人や政治評論家の姿勢だ。漸く民主党政権で実現しそうな子供手当。高校大学の無償化。失業者に対する職業訓練期間中の給付金支払い。年齢で制限しない医療費の一律無償化など。とっくの昔、少なくとも70年代の後半には日本でも実現していなければならなかった社会保障制度だった。

もし、税金の使われ方に透明性が確保出来るなら、高福祉で高負担な社会の有り方は多いに結構ではないか。それを非難する頭の古い政治評論家の三宅久之や頭の悪い経済評論家の財部誠一はテレビ番組スポンサーの背後に構える経団連の嫌がることは言わないし、しない。哀れな飼い犬は餌を与えてくれるご主人様には決して吼え付かない。

テレビ・カメラに向かい、膨大な社内留保に手が付きそうな議論は芽のうちに摘みましたよ。と彼らは吠えて見せる。「出羽の守」を揶揄することで、高負担・高福祉を実現している北欧やフランス、オランダを貶めている。日本でも法人税が福祉目的税化しないように巧妙にも、議論を海外旅行者のたわいもない与太話にすり替えているのだ。田原総一郎など経団連のピエロそのものだ。

テレビ・4大マスコミは決して市民の味方ではない。田原総一郎や三宅久之、財部誠一などを使い世論を自己責任や自助努力にすり替えて行く。自己責任は本来官僚や政治家に向かい使われる言葉だ。それこそ欧米で自己責任論が公的な場で個人に向かうことはない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月30日 (木)

道州制はバラ色の未来を保障しない

人気ブログランキングへ

賛同の方はクリックよろしくお願いします。

道州制を経団連が推し進めようとしている。自民党はその要望に答えて2016年からの制度実現を自らのマニュフェストに掲げた。相対する民主党は地方分権を声高に要求する橋本大阪府知事の要求に答えて地方分権協議会の設置を決めた。さて、道州制はそんなにバラ色の未来を僕等に保障するものなのか。そこはちょっと待って欲しい。「世に倦む日々」ブログが警告するまでもなく、日本を実質的に支配している経団連が支配政党にやらせようとしている政策が僕等・私達市民の為になる訳がない。

道州制を導入すると言うことは首長が独裁的に権限を強めるというであり、現状の地方議会の議員の質の低さと、何よりも市民の政治への参加意識の低さがとんでもない首長を生み出さないか心配だ。地方財政を独占的に支配する首長は政敵や敵対する市民に不利な分配を行う恐れさえある。それでなくともお上意識の強い地方都市で地方政府が民主主義的に運営が出来るのだろうか。人権意識も高くない。部落差別を平気で行う地方ではなお、差別が強化されることさえ考えられる。

それより、なにより誘致された企業は法人税を払わないようにするだろう。州法を作り、安い賃金で外国人労働者を大量に移住させ、仮に誘致された大企業がその地方住民を雇うとしても賃金は外国人労働者並みに低く抑えられる。
住民サービスも最低限に抑えられる恐れもある。税収は低く抑えられる上に、民間企業並に州政府を運営する人材が地方の役所にいる訳がない。今まで入って来た税金を無駄使いして来ただけなの役人たちなのだから。

国からの補助金は入って来ない。各州の運営手腕の違いにより、黒字の州と赤字の州が明確に分かれる。赤字の州の病院は破たんし、水道やごみ収集代金も跳ね上がるだろう。州政府の職員賃金は削減され、教員の数と給与も大幅に
下がり、公的教育の質は維持されない。仮に最低賃金でも仕事はその州内にある。簡単に他の州に移動など出来ない。

第一、仕事のない住民を他州が簡単に受け入れるかどうかすら分からないではないか。道州制の導入はバラ色の未来を描ける訳ではない。現在の憲法に保障された市民の権利が連邦法の元で普遍的に守られる仕組みがまず作られなくてはならない。道州制の導入により市民の生存権権が侵されてはならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月28日 (火)

読売新聞が悪質なねつ造を行う

人気ブログランキングへ

読売新聞が24日の自らの世論調査で卑劣なねつ造を行った。折れ線グラフで然も麻生と鳩山には支持率で差がないかのように工作したのだ。詳しくは本日の「きっこの日記」を読んで欲しい。フジサンケイと読売は一貫して自民党を支持している。小沢一郎を追い落とそうと画策したのも、この2社。その意味では反動側についていることを隠しもしない。マスコミ、特に新聞とテレビは決して僕等の味方ではない。民主党を勝たせないためには反動マスコミは何でもやる。

かたや、26日のサンデープロジェクトは田原総一郎がやっきになって派遣労働禁止法案を民主党の手から奪い取ろうと必死だったと言う。田原は元来、自民党の回し者なのだが、今回はあからさまにそれが明らかになった訳だ。
若い電波芸人と田原総一郎のテレビでの役割は寸分も違わない。それを白日の元に晒したのは視聴者に取っては良いことではないか。民主党がどちらに付くか、労働者の側にか、それとも経団連の側に付くのか。良く良く見届けようではないか。 来年には参院選もある。心配することはない。まだ、選択権は僕等にある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月27日 (月)

決して責任をとることのない高給役人たち

人気ブログランキングへ

ポチッとよろしくお願いします。

ねじまき鳥クロニクル」を書くに当たって村上春樹はノモンハン戦争について出来るだけ詳しく調査し、その結果帝国陸軍の上層部は兵士には犬死を強い、現場指揮官に自決を迫りながら全く責任を問われることはなかった。と書く。この愚かな局地戦争の失敗が検証されることはなく、軍部は2年後の1939年に太平洋戦争に突き進み、ノモンハンと同じ種類の愚劣な失敗を繰り返しながら私達の国を破局の淵にまで追い込んで行く。

村上春樹はこの過程における帝国陸軍の無責任体制に呆れ、それはそのまま地下鉄サリン事件における営団地下鉄や消防庁そして警察庁トップがどうしても適切な判断を下したとは思えない現実と相通じることに愕然とする。ここで失敗の本質を検証し分析し、次の突発的な事件や事故に対して解決策を共有し得ないならば、あまたの犠牲者の死は無駄になる。「アンダーグラウンド」の解説の中で村上春樹が強調するのはこのことだ。

役人のネグレクトを許しておいては悲劇はいつまでも繰り返される。ノモンハン戦争の失敗から消えた年金まで、高給役人の無責任が罰せられたことは過去一度もない。それどころか、冤罪事件に関わった県警本部長はその後も順調に出世したなどという話を聞いたのは昨日のことのようだし、そのような事実は数限りなく見つけることが出来る。

僕等自身が物事をあやふやにしたり、上層部や役人の責任を追及するのを大人げないなどと思う文化から、そろそろ決別すべき時が来たのだ。そうでなければ、いつまでも弱い立場の、現場で懸命に働く人たちが犠牲になり続ける。

ノモンハン戦争についてすぐれた戦史を書いたA.D.クックスは、あのような大失敗と悲劇を招いた責任者が誰も処罰されなかったことに驚き、日本人の対話者に向かい、「他の国にならクーデタか革命がおきますよ」と呆れていたと言う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月26日 (日)

村上春樹の「アンダーグラウンド」を読む

人気ブログランキングへクリックよろしくお願いします。

村上春樹の「アンダーグラウンド」は地下鉄サリン事件の丁度2年度、1997年3月20日に発行されている。村上春樹とそのチームによる地下鉄サリン事件被害者に対する、作家自身によるインタビューをまとめたものだが、「1Q84」を読み終え、俄然「アンダーグラウンド」を再読してみたくなった。僕のようなミーハーはそうしたものだ。

「1Q84」のベスト・セラー化現象により村上春樹の、これまでに発行された関連書籍を読んで見ようと考える村上春樹ファンは多いだろう。今回、「アンダーグラウンド」を読み返し、最大の収穫だと感じたのは次のような文章に出会ったからだ。

「アンダーグラウンド」には著者自身による長い「あとがき」のような文章が7章に渡って綴られている。それは「目じるしのない悪夢」・私たちはどこに向かおうとしているのだろう?と題されて始まっている。

実に42ページもの著者自身による「解説」といっても良い文章だ。そのほとんど最後に近い(6)圧倒的な暴力が私たちの前に暴き出したもの章のそれもほとんど最後に次のような文章がある。

「ねじまき鳥クロニカル」という小説を書くために以前、1939年の「ノモンハン戦争(事件)の綿密なリサーチをしたことがあるが、資料を調べれば調べるほど、その当時の帝国陸軍の運営システムの杜撰さと愚かしさに、ほとんど言葉を失ってしまった。このような無意味な悲劇が、歴史の中でむなしく看破されてしまったのだろう。

でも、今回の地下鉄サリン事件の取材を通じて、私が経験したこのような閉鎖的、責任回避型の社会体質は実のところ当時の帝国陸軍の体質とたいして変わっていないのだ。

と。ノモンハン戦争における陸軍の無責任体質は司馬遼太郎に「この戦争のことを書いたら僕は死んでしまう。」と言わせたほど愚かな戦争だったが、その愚かさは今も完全には暴かれてはいない。

全責任のある関東軍参謀だった辻政信は全く責任を問われておらす、あろうことか、その後も帝国陸軍内で出世し、インパール作戦で帝国陸軍を実質的に壊滅させている。辻は人に自決を迫りながら自分だけは戦後も生き延びている。

村上春樹が強く指摘するのは、地下鉄サリン事件でも現場は命がけで対応したが、地下鉄、消防庁、警察庁のトップがそれに見合うだけの働きをしたとは到底思えないと言う事実だ。

我々が失敗の本質を分析し、トップを追及する体質を獲得しない限り、高給役人たちは無責任体質でおいしい生活を謳歌し続け、我々市民に悲劇を押し付け続ける。それには政府を変え、官僚を追及する良質なマスコミを選び取る眼を僕等は持たなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年7月19日 - 2009年7月25日 | トップページ | 2009年8月2日 - 2009年8月8日 »