« 2009年2月15日 - 2009年2月21日 | トップページ | 2009年3月1日 - 2009年3月7日 »

2009年2月22日 - 2009年2月28日

2009年2月28日 (土)

2月28日 支配語

人気ブログランキングへ

いまでは死語扱いだが、僕が外国語を学び始めた1960年代には「言語帝国主義」と言う言葉が存在した。僕らに取って外国語と言えばアメリカ語で、文明と言えばアメリカ合州国が文明の手本だった。どの時代でも戦勝者の言葉が支配語だ。

ヨーロッパ系の言語、イギリス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、フランス語、オランダ語などが世界中に広まって行ったのは宣教師と海軍の戦艦。それに積まれた陸戦隊に先導されたヨーロッパからの植民者により、植民が推し進められ結果であることは誰でも知っている歴史的事実だ。英国議会では植民地と奴隷制の歴史的清算さえ話し合われている時代だ。

北米が欧州大陸の出店であるとは僕らは誰も思いもしなかったし、第一、戦前に欧州大陸へ行けた人間など極、一部の高給役人か大会社の選ばれた社員や芸術家、大金持ちだけで庶民は比較対象すべき対象すら持たされなかった。

アメリカ語がイギリス語の出店として派生したものであることは誰でも知っているが、僕ら日本人がそれを肌で感じるのはロンドンの地下鉄(チューブと言う)窓口で切符を買う時だった。

窓口仕切りパネルの向こうに座る係りの女性に行く先を告げても通じない。何度言っても通じない。相当英語(実はアメリカ語なのだが、)に自信がある者でも最初はへこむ。後ろに次の乗客に並ばれたら相当あせる。

現在はオイスターと言うスイカのようなタッチ方式のカードで乗り降り出来るので、そのような洗礼を受けることはないだろうが、タクシー(キャブ)に乗り、行く先を運転手に告げる場面で同じような目に合うかもしれない。(ただし、ロンドンの地下鉄料金は馬鹿高い。初乗りで4ポンド、約560円、オイスター・カードを使い50%割引の2ポンドでも280円だ。)(090228現在レート)

もちろん、外国語など基礎があれば、後は慣れなので聞き取れるようになれば上達は早い。現実のロンドンは旧植民地から来ている人々でごった返していることはご存知の通りで、様々ななまりで英語は話されている。今や発音はあまり気にする必要もない。

イギリス語の本場で自信をすっかりなくし引きこもってしまう人も居ると聞く。そうなるのは日本人は男性のほうが多いかも知れない。女性は強い。日本国内で2級市民扱いされることが多く、それが日本女性を打たれ強くしているのだとすれば、日本の後進性の証明ではないのか。外国で可能性を求めて自らの才能を発揮するのも女性が大半だ。考えさせられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月25日 (水)

エルサレムの村上春樹

人気ブログランキングへ

今、新聞・週刊誌であまりにも多くの人が村上春樹について語っている。”そうだ、村上さんに聞いて見よう”にちなんで「村上さん」と呼んでしまそうだが、ここは、やはり村上春樹と呼ぶことにしよう。

2月24日付け朝日新聞朝刊に載っていた週間朝日、今週号の広告”村上春樹””全文採録”のゴシック活字が眼に飛び込んで来た。1979年、群像に載っていた「風の歌を聴け」翌80年の「1973年のピンボール」以来の読者としては村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチを読み逃す訳には行かない。

もちろん、色々な村上春樹フリーク・ブログに演説の即時翻訳が載っているのは知っていたが、印刷物で読みたいと思っていたところだったので、この広告に飛びつき、同日発売の週刊誌を買ったのは幾多のファンと同様だ。

やはり、忠実なたくさんの読者の期待を裏切らない、素晴らしい受賞演説だと思った。何度も読み返しては涙が出た。
”小説を書くのは{脆い殻に覆われたかけがいのない魂、高く固い壁に当たっては簡単に壊れてしまう卵、すなわち、システムによって冷酷に殺される人間の側にいつも立ち、添って生きる為}とイスラエルの読者の前で彼は言い切ったのだ。

封鎖されたガザで暮らすパレスチナの人々の暮らしは1940年にワルシャワ・ゲットーに閉じ込められ、1942年末までの凄惨な暮らしの記録を残し、43年の武装蜂起の末44年に家族や仲間たちと共にナチス親衛隊に処刑されたエマヌエル・リンゲルブルグの「ワルシャワ・ゲットー」からの報告のそれと寸分も違わない。イスラエル政府はガザ住民の殲滅を狙っている。

誠実に発言し行動する村上春樹の、拍手と喝采を浴びる映像は世界中に配信された。必ずやガザの人々心強い味方となったことだろう。ただ、ガザの住民は外国人を当てにはしていない。自らの窮状を救うのは自らの武装組織だと肝に銘じている。

それでも、先週の金曜日、「2月20日に村上さんがエルサレムに行ったのはやはり良い選択だった。」と同世代の友人とふたりで盛り上がっていたのだが、図らずもそれが証明されたようで嬉しい。イスラエルの人々の中にも”殺すな。”と叫ぶ
人々はいる。

参考書籍:

[ワルシャワ・ゲットー ]E.リンゲルブルム著 大島かおり・入谷敏男訳 1982 みすず書房

| | コメント (0) | トラックバック (0)

 酔いどれ中川報道

人気ブログランキングへ

「世に倦む日々」の2月21,22,24日の掲載記事をお読み頂きたい。ここでは見出しを記載するに留めるが、読売、朝日新聞記者の驚くべき実態が明らかにされている。男芸者にコンパニオン記者。癒着と腐敗。酒と化粧の臭い。

佐藤優はインテリジェンスの90%以上は公開されている情報から取れると常に書いている。熱意と技術が伴えば我々でもパソコンの前で検索、収集、破棄、推理することで事実に近づくことは出来る。

それぞれのブログ見出しのみを掲載する。

2月24日 朝日新聞の中川問題報道の愚劣、中川擁護~

2月22日 政官と癒着して税金で遊行するマスコミ 読売新聞の説明責任

2月21日 コンパニオン記者に関する二つの疑惑と読売記者の2年前の記事

本多勝一が最近の著作で朝日新聞のOB記者に現在の朝日に飽き足らない良質な読者層は確実に300万はいる。現状を打破し情報産業ではなくジャーナリズムに立ち返る為に一緒にやりませんかと誘っていたが、本当に実現すれば、僕も真っ先に定期購読したい。

それは兎も角、この「世に倦む日々」ブログが指摘する通り、最近の社説で消費税を上げるべきだと堂々と主張していた。朝日は財務官僚の広報意外の何者でもないと改めて実感した。

尚、「世に倦む日々」レジまぐ版は有料となっている。有料でも読むだけの価値はある。

参考書籍:

「新聞と新聞記者のいま」本多勝一著 2008 親樹社
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月24日 (火)

 御手洗会長は捕まらない。

人気ブログランキングへ

09年2月14,15日に「世に倦む日々」「きっこの日記」で大光の大賀社長が脱税事件で逮捕された件でキャノンの御手洗会長との関わりが相次いで取り上げられていた。企業の法令順守など建前に過ぎない。

その後10日間が過ぎても全国紙は事件の続報を流しもしなかったが、今朝、09年2月24日、6時と7時のNHKニュースで、立て続けに御手洗名義で大分駅前に所有する小規模の27台しか駐車出来ない駐車場の管理を「大光」に任せていたと報道されていた。

キャノンの御手洗会長は妻名義の土地を大光に管理させていたものと言い訳をしているが、この事実は大賀とは親しい間柄ではないと言う御手洗会長の弁明に真っ向、矛盾する報道だ。大賀はキャノンの闇担当・個人秘書だったのではないか。

親近者並の付き合いでなければ、妻名義だった土地の管理を任せることもなかったと考えるのが自然な流れだろう。小商いだからこそ、極、親しい人間に個人財産管理を任せたのだと言えよう。また、親しくても目立たないで済む。

2月14日付「世に倦む日々」ブログで検察当局からNHKにしか捜査情報を流してはいないだろうと推測している。今朝の報道も御手洗会長への検査当局からの揺さぶりと推理するのが自然だろう。とてもご本人には行きつかないだろうが。

時、恰も福岡のNHKで爆発事件があり、渋谷のNHK本部に銃弾らしきものが送られて来たとの報道が成されている、これは単なる偶然だろうか?それとも背後に蠢くホニャララ団の仕業か、はたまた、愉快犯の仕業か。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月23日 (月)

 リリアン・ヘルマン

人気ブログランキングへ

映画 「ジュリア」1977年 アメリカ

監督 フレッド・ジンネマン

主演 ジェーン・フォンダ(リリアン・ヘルマン)
   ヴァネッサ・レッドグレイヴ(ジュリア)
   ジェイソン・ロバーズ(ダシール・ハメット)

僕はこの映画を09年2月20日にHNKBSでの視聴も入れれば都合3度観ているのだが、封切り時に都心の映画館で観たのが最初の経験だったように思う。この映画が公開された1978年当時、リリアン・ヘルマンの名前は日本では殆ど知られていなかった。

彼女の劇作が翻訳されていなかったのだから知名度が低かったのは致し方がない。また、戯曲と言う作品形態が翻訳出版にあまり適しないと言う事情もあるだろう。また、出版しても採算が合うと編集長も思いはしなかっただろう。

この映画「ジュリア」の冒頭、彼女の回想録とでも言うべき著作、「ペンティメント」プロローグの独白が、主人公とおぼしき女性の、霧に包まれた湖畔で釣り糸を垂れる場面に被さる。憎い演出だ。その年のオスカーを受賞したのもうなずける。

晩年を迎えた女性がひとり、霧の立ち込める湖で釣り糸を垂れる場面を観た瞬間、意思的で独立心の強い女性が観客の前に立ち現れる。それだけで、この映画の成功はほぼ保証されたようなものだったのではないだろうか。

物語の舞台はアメリカから始まる。富豪の娘、ジュリアとリリアンの幼き日の友情、オクスフォード大に進んだジュリアがナチス・ドイツに席巻される直前のウイーンに渡り、反ナチ闘争で命を落とすまでをスリリングに描いている。

リリアン・ヘルマンはウイーンでナチスの起こした暴動で負傷し、当局の監視下に置かれているジュリアに人伝に頼まれた抵抗運動資金を国際列車でパリから運ぶ。 その後、ジュリアには子供がおり、フランス人のパン屋夫婦に預けられていると聞かされ、養育をリリアンに託されるがジュリアの死で、子供を捜す道は絶たれる。

この映画で描れた物語の背景に戦中、戦後を共に生きたダシール・ハメットとの生活がもうひとつの物語として描きこまれている。結婚はしていなかったが、ハメットの最期をリリアン・ヘルマンが看取っている。 ハメットとヘルマンは共に1950年代の米国で吹き荒れた”赤狩り、マッカシー”に抵抗し、生き抜いた数少ない作家・知識人だ。

特にハメットは上院「非米活動委員会」に対する証言拒否が議会侮辱罪に問われて投獄されている。 それは名誉、財産、仕事、友人を失うことになる。そんなことを僕にはまず出来ない。尚、 この映画「ジュリア」回想を書く当たって改めて下記の書籍を参考にした。「友を売らない。」「信念を曲げない。」世論を味方にした権力の強要に自分は抵抗出来るか、僕には多分それは出来ない。

参考書籍 :

「眠れない時代」リリアン・ヘルマン著 小池美佐子訳 1979年サンリオ、1989年ちくま文庫 

「未完の女」リリアン・ヘルマン著 稲葉明雄、本間千枝子訳 1981年平凡社  

「ジュリア」リリアン・ヘルマン著 大石千鶴訳 1989年 早川文庫  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月22日 (日)

 大スター デンゼル・ワシントン

人気ブログランキングへ

その後あっと言う間に大スターになったデンゼル・ワシントンを劇映画で初めて観たのは「遠い夜明け」(1987)の主役、ステイーブ・ビゴとしてだった。監督は映画「ガンジー」のリチャード・アッテンボロー。確か、彼は英国出身。戦争映画「遠すぎた橋」も彼の作品だったか。第2次大戦末期。英国の将軍モンゴメリーの壮大な作戦失敗を描いた映画としても知られている。

映画は狂言回し役のドナルド・ウッズが南アで新聞記者時代に体験した実話を基にしている。家族が脅迫され、彼は家族共々英国へ亡命する。1975年に南アの実情を暴く為に出版された小説「Cry for Freedom]が評判を呼び、映画化された。映画ではケビン・クラインが本人役の新聞記者を演じている。

フランスは自国の映画制作に補助金を出しているが、これは結果として自国語映画保護にも繋がっている。法律で外国語の映画は原則、全てフランス語に吹き替えられないと上映出来ない。例外はシャンゼリゼ通地区。オリジナルの英語で観ようと思ったら、遠くまで出掛けて行かなくてはならない。不便この上ないが、それが国策・文化政策だから仕方がない。

僕は1987年に、この映画をシャンゼリゼ通りの映画館で観た。主人公・ステイーブ・ビゴが瀬死の状態で護送車のむき出しの床の上に放り出される。その場面は、有る仏映画の一場面を僕に思い起こさせた。ナチス占領下のリヨンで対ナチス抵抗組織束ねたジャン・ムーランが捕まり、拷問死間際で護送車に乗せられる。秘密警察の密殺手口は国や時代が違っても必然的に同じような様相になるもののようだ。

ネルソン・マンデラが漸く釈放されたのは1992年か、スチーブ・ビゴが惨殺されてから20年の年月が経っている。マンデラ釈放の場面は同時中継でフランス全土に国営テレビで流されたと記憶している。フランス社会の人種差別の実態は兎も角、フランス革命以来、建前としての自由・平等・博愛を掲げて外交の表看板にして行動するのがフランスだ。

人権を外交に使うしたたかさを彼らは持ち合わせている。テレビ中継にはその意図が背後にあったのだろう。ドイツと並んでフランスも米国のイラク侵略には米国が上げた証拠には全く根拠がないと反対した。ブッシュのポチ、小泉純一郎とは大違いだった。欧州の国々は米国を頼りにするが、必ず一線を画する。

もっと古い話だが、1975年、ベトナム戦争が終結した際、旧宗主国のフランスに南ベトナム難民が大挙して押しかけた。タクシーの運転手さんの中にも、そのような南ベトナム系の人が多くいた。従って、彼らの一人が運転する車に乗り合わせる機会も多かった。彼らが一様に語るのは「フランス人たちの中には好きになれない人も大勢いるが、何と言っても、ここの政府は滞在許可の「紙」をくれるから助かっている。」と言う言葉が印象に残った。日本政府は政治難民や亡命を認めていない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

 アルベール・カミュ

人気ブログランキングへ 

世界的なパンデミック騒ぎで再び注目を集めているらしいアルベール・カミュは1913に生まれ1960年に没した。交通事故死とされる最期は今も謎に包まれている。晩年には既に作家仲間からは過去の作家と見られていたらしい。僕は名高い「世に倦む日々」ブログに共感し、刺激され2月初旬に自らのブログを開設した。それは辺見庸にブログ主が言及したことに始まる。「パンデミック・滅びの予感」を辺見庸はカミュのペストを例に語り、それがNHKで放映されたのがきっかけだ。

ペストが戦争、それも第2次世界大戦の暗喩であることは良く知られている。カミュもまた、フランス知識人のひとりとして対独抵抗組織に加わり闘っていた。医師・リューはペストと戦うのは誠実さのみだと言う。何と心を打つ言葉ではないか。

カミュはアルジェリアからの引揚者。それも寡婦の子供だ。ひどく貧しい境遇の中から苦学して大学を出ている。その地名からの連想は子供心に記憶しているアルジェリア独立戦争(1954-1962)についての新聞連載記事に繋がる。

1960年当時、共同か時事から配信されていた記事のなかに独立運動組織に属していた若いアルジェリア人女性がフランス兵から性的拷問を受けたと語る。その記事の生々しい描写が今でも記憶に残っている。僕は当時12歳、その記事に、文明国のフランス人がそんなことをするのかと強烈な衝撃を受けた。

時は経て僕は22歳、かの有名な小説・異邦人(L'Etranger)をGallimard版の原書とペンギン版の英語で同時に読んだ。もちろん、初めての試みだった。殆ど独学だったが、若い時代は少し背伸びをしたほうが外国語は身に付くものだ。と今になって思う。

無論、会話力はこの方法では身に付かない。読めること書けること。それと時候の挨拶が出来ることは全く別の次元の話だ。日本人そのもののなまりが抜けないので、偉そうなことは言えないが、会話は追い込まれた状態で、聞き話すことを繰り返すことでしか身に付かない。

カミュの植民地出自の悲しみ。彼ら引揚者はフランス本土に戻ってもcolon(植民)とかle pied noir(黒足)と呼ばれ、本土の市民から蔑視され差別を受けたと言う。時代も国も関係なく、相も変らぬ偏見。差別と逆差別。小説「異邦人」全編に通低する乾いた悲しみ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月15日 - 2009年2月21日 | トップページ | 2009年3月1日 - 2009年3月7日 »