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2010年1月10日 - 2010年1月16日

2010年1月16日 (土)

市民感覚から遠い東京地検特捜部の感覚

いやはや「きっこさん」が最新日記で書いているように東京地検特捜部はアホ・バカ・マスコミと結託・癒着しながら「鳩山・民主党」つぶしに向け暴走し出した。早急に来年度予算を組んで貰わなければならない、現在、東京地検特捜部は誰も頼んでいないことをやり始めた。しかし、こんな茶番捜査で民主党の支持率が急落することはないだろう。一時的に支持率が下がったとしてもそれはただちに持ち直すだろう。それは「きっこさん」の指摘するように、それがどんな茶番か国民は皆知っているからだ。下記は「きっこの日記」からの抜粋だ。僕らの意識もこの通りだろう。

「アホの集団、東京地検特捜部が、とうとうボロを出しちゃった。そう、小沢一郎の秘書だった石川知裕議員と、その後任の会計担当者だった池田光智氏を逮捕して、西松建設の事件で起訴されてる大久保隆規被告の逮捕状もとったのだ。これで、東京地検特捜部のホントの狙いが、事件の解決や解明なんかじゃなくて、完全に「鳩山内閣潰し」だってことが全世界に知れ渡っちゃった。ホント、東京地検特捜部って、頭が悪いよね。やることなすこと、ぜんぶ逆効果だ(笑)

石川議員も池田氏も、これまで、東京地検特捜部の任意の事情聴取にはすべて応じて来てるし、大久保被告だって、別件で起訴されてるんだから、逃げるワケがない。それに、今回の問題は、いくら金額が大きいとは言え、所詮は単なる「虚偽記載」で、普通は逮捕なんかする事例じゃない。これまでの自民党政権時代に、自民党の総理大臣から閣僚から一般の議員に至るまで、みんなそろってやってたことだ。たとえば、フロッピー麻生の内閣の時も、アベシンゾーの内閣の時も、閣僚の9割が政治資金の「虚偽記載」はおろか、遥かに罪の重い「違法献金」までもが発覚してたヤツもいたのに、誰1人として、逮捕どころか、事情聴取すらされなかった。」 そう、今テレビの前の国民の大部分は過去自民党議員は誰も逮捕・起訴されなかったがこれを片手落ちと呼ばず何を片手落ちと呼ぶのかと東京地検特捜部のやり口に大いに疑問を持っているはずだ。「語るに落ちるとはこのことだ。

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2010年1月13日 (水)

井成格の嘘とマスコミによる検察の買収 - 検察リークは廃止せよ

1月12日の「世に倦む日々」は何かと話題の小沢一郎の資金団体疑惑にタイトルが示す興味深い論評を寄せている。下記はその抜粋だ。

「小沢一郎の資金疑惑については大きく三つの問題が言われている。第一は、資金管理団体の陸山会が04年に購入した土地取引をめぐる問題で、購入原資の4億円が政治資金収支報告書に未記載だったとされる疑惑である。第二は、小沢一郎が新生党と自由党を解散させた際、二党の政治資金の残金を自分の政治団体に移動していた疑惑で、報道によると解党によって私物化された資金の総額は23億円に上る。そのうち9億円が政党助成金の交付によるものだとされ、現在も17億円がプールされたままだと言う。第三は、民主党の組織対策費に関する疑惑で、小沢一郎が民主党の代表に就任した06年以降、3年間に22億円の巨費が組織対策費として山岡賢次と佐藤泰介と輿石東の3人に支出されていた問題である。使途は不明。自由党・新進党時代には、4人の議員に75億円の組織対策費が支出され、そのうち31億円は藤井裕久に渡されていた。年末から年始にかけて、小沢一郎の資金疑惑に関する情報が錯綜している。そんななか二つだけ確実なことがあり、一つは、これら全ての疑惑情報が特捜部を通じてマスコミにリークされて出されているという点と、検察が立件するのは第一の土地取引に関する収支報告書虚偽記載だけで、秘書だった石川知裕と大久保隆規の2名が刑事責任を問われて起訴され、小沢一郎は形ばかりの事情聴取で放免され、通常国会開会前に捜査終了になるだろうという点である。

第一の問題については、検察が刑事責任を問うて立件するのは政治資金規正法違反(虚偽記載)だが、リークされている情報の内容はもっと重大で、ゼネコンによる贈賄と小沢一郎の収賄の疑惑が含まれている。土地購入代金として用意された4億円について、それは収支報告書未記載の簿外の現金だったが、石川知裕が供述しているような小沢一郎の箪笥預金ではなく、胆沢ダム工事に関連した水谷建設からの賄賂資金1億円が含まれていた疑いが強く、水谷建設側からの証言はすでに関係者によって公開されており、単なる検察のリーク情報のレベルではなくなっている。検察による小沢一郎への事情聴取がどのような内容になるかは未知数だが、問題としては明らかな贈収賄事件であり、昨年の西松建設と同様、ゼネコンが公共工事発注の見返りに小沢一郎に賄賂を提供し、それを小沢一郎が受け取って土地購入の代金に充てていたという構図になる。今回のリーク報道で窺い知れるのは、捜査の積み重ねで検察は過去からの小沢一郎の黒い政治資金の出入りの全貌を掴み、その手法、すなわち脱法(合法化)の手口も抑え、事実上、小沢一郎を丸裸にしているということである。だから、仮に今回は秘書2名の在宅起訴で終わったとしても、参院選前や参院選後に新しい問題を再びマスコミにリークし、小沢一郎の資金疑惑で何度でも騒動を起こさせることができるぞというメッセージが発信されている。」
ここからの論評は爆笑ものだ。おもしろい記事なのでここだけでも読んで貰いたい。
「週末、1/10のテレ朝のサンデープロジェクトで、郷原信郎が生出演して、「04年の4億円は陸山会の政治資金収支報告書に記載されている」と爆弾発言、マスコミ報道の出鱈目を証拠を添えて喝破する挙に出た。スタジオには岸井成格と星浩の新聞幹部2名が同席していて、この爆弾発言の前に狼狽させられ、田原総一朗が小沢一郎を糾弾する集会にするべく目論んだ番組は、一転してマスコミ側が恥をかかされて釈明に追われる醜態の生放送となった。この郷原信郎の反論は、中身としては、決して小沢一郎の潔白を証明するに足るものではなく、事実としては、単にもう一つの4億円が記載されていたと言うだけに過ぎない。すなわち、定期預金を担保にして小沢一郎が銀行から借り入れ、陸山会に政治資金として入れた4億円の存在があり、この分については陸山会の04年の収支報告書に漏れなく記載されていたという事実が説明されただけだろう。問題になっている簿外現金の4億円とは別の4億円である。翌日、1/11の報道ステーションを注目したが、1/10の政治番組を意識してかしないか、04年に陸山会に流れた政治資金として、銀行借入の4億円と簿外現金の4億円の二つがあることが解説図とニュース原稿の中で示されていた。結論としては、検察のリーク情報に虚偽があったと言うよりも、マスコミの側の検証が不十分で、検察の言うがままを記事にしているだけであるため、問題の構図の全体が記者の頭に入っていないところから起きた失敗である。岸井成格も星浩もその場で何も説明できず、郷原信郎の指摘を認めざるを得なかった。
滑稽だったのは、検察リーク報道のミスを衝かれた岸井成格が、釈明に窮して奇想天外な作り話を喋り始め、何と、「記者は検察のリークを記事にするのではなく、検察に質問をぶつけて、そのときの検察の顔色を見て記事を書く」と言い放ったことである。それが新聞記者による検察に対する「裏取り」だと言うのだ。この発言には驚いたが、岸井成格の発言に従えば、新聞が言っている「裏を取っている」は、実際には何の根拠もなく、単に取材した関係者の顔色を見て記者が勝手に判断しただけということになる。語るに落ちるとは、まさにこの日の岸井成格だったが、新聞がいかに出鱈目な取材で記事を書いていて、記者が記事の根拠について責任感を持ってないかを証明するハプニングだった。真実を追求しようとする姿勢も精神もなく、まともな取材も検証もせず、権力側が垂れ流す情報に群がって好き勝手なことを書き散らし、単に朝日や毎日の看板(ブランド)で読者に記事を信用させているのである。新聞の「裏取り」とはその程度のものだろう。だから誤報が頻発するのである。岸井成格の言っていた中身をもう少し解説すると次のようになるはずだ。記者は小沢一郎をバッシングして売る記事を書きたいのと飲み食いをしたい。検察は新聞を使って政治介入する満足を得るのと同時に高額な饗応にありつきたい。そこで二人で寿司屋や料亭で落ち合い、新聞社の交際費で高級食材を食い散らかし、記者は検察が言ったとおりをメモし、それを翌日の記事にするのである。記者は頭の中がカラッポで、政治資金規正法の法律解釈も不明なため、検察が言うとおりの情報をそのまま並べるしかできない。
これは、検察が逮捕や起訴や家宅捜索に及ぶ前段階のリークであり、マンツーマンの検察リークの現場である。飲み食い(饗応接待)が入る。強制捜査の後は、検察はマスコミ記者を一同に集め、集めた部屋でPCとプロジェクターを使った説明をしている。考えてみれば簡単にわかるが、堀江貴文が逮捕されたライブドア事件にせよ、守屋武昌が逮捕された防衛省汚職事件にせよ、大久保隆規が逮捕された昨年の西松事件にせよ、各社の新聞記事とテレビのニュース報道は悉く同じ内容で、ブロックチャート図を使った事件の構図説明は各社とも全く差のない情報で出てきたではないか。専門的な法律用語が含まれた犯罪の事実解説(構成要件の説明)は、記者が独自に調べ考えて原稿を書いているのではなく、検察から一律に情報提供されたものだということは一目でわかる。そして、検察は捜査内容を説明する記者会見など毎日開いてはいない。記者会見を開いてないのに、検察からの説明情報としか思えないものがマスコミ各社を通じて毎日のように紙面と画面を埋めた。これが検察リークだ。岸井成格の「検察リークなどない」という発言は真っ赤な嘘だ。検察リークには様々なタイプとケースがある。岸井成格が言っていたのは、検察の方から報道にリークを持ちかける場合ではなく、記者(岸井)の方が何か世論操作目的で政治家の疑惑記事を書こうとして、自分で記事を捏造し、その捏造に根拠を与えるために検察幹部を料亭や寿司屋に呼び出して飲み食いさせるケースである。そのとき、検察は確かに黙って岸井成格の話を聞き、顔色を見せているだけだろう。岸井成格はそれを「裏」とする。検察は何も聞かず何も話さなかったことにする。
検察の方は、単に中トロと寒ブリの寿司をつまみ、ふぐ刺しとあんこう鍋に箸を入れ、記者と雑談しただけにする。話の中身の証拠は何も残らない。そうしたことが日常茶飯事に行われている。これは、見方を変えれば、マスコミによる検察官の買収であり、捜査情報を売り買いしてマスコミがネタを仕込む贈収賄の悪弊である。実際のところ、今回の小沢一郎の疑惑報道を見ていると、数社のマスコミ記者を一同に集めてリークしているのではなく、リークは個別に行われている可能性が強く、商売の臭気が異常に強いのが特徴として感じられる。マスコミ、特に毎日と読売は、政治目的以上に新聞を売るために検察から情報を仕入れ、大衆の関心をかき立てるべく小沢疑惑報道を過熱させている。産経はイデオロギー的な政治目的で、小沢一郎の失脚と民主党政権の打倒を狙って今回の疑惑報道に参加している。読売と毎日は両方の目的を持ち、一石二鳥を狙ってやっている気配が強い。検察の側は、政治介入と飲み食いが目的だが、むしろマスコミの接待饗応に集る動機の方が大きいのではないか。今回、結局のところ、小沢一郎と民主党に配慮して、捜査は国会開会前に終了することにし、小沢一郎にはかすり傷もなかった。自民党は小沢一郎を参考人招致すると言っているが、最初から腰砕けの状態で、谷垣禎一は「予算審議が終わったら」などと1/10のNHKで言っている。独自に調査もしていないし、検察任せで本格追及する意思もないのだ。予算委質疑で炸裂させる隠し球の爆弾も準備していない。検察は、司法の任務を越権した過剰な政治介入をしながら、政治介入の目的を何も達しておらず、単にマスコミの販売部数と視聴率の商売を支援しているだけだ。
小沢一郎には何の傷もつけられず、参院選への影響もない。検察がこの問題で意味ある捜査をして国民の前で司法責任を果たすということは、すなわち、リークも何も無しに小沢一郎を直截に収賄容疑で立件することである。リークは不要だ。現実にゼネコン側の贈賄の証言があり、カネの動きを隈なく把握している以上、立件起訴は可能で、公判の維持も十分だろう。躊躇の必要はない。収賄の構成要件が不安ならば、政治資金規正法の監督責任要件で十分ではないか。さっさと立件することだ。たとえ裁判で無罪になっても、(一部の民主党信者を除いて)国民は検察を責めることはしない。不当判決を出した裁判官が責められるだけであり、政治資金規正法強化の世論が起きるだけだろう。1/10の番組で言っていた枝野幸男の発言が正論であり、もうこの辺りで検察リークの悪習は止めるべきだ。検察官が捜査過程で得た情報を外部に秘密を漏らす行為は、国家公務員法で定められた守秘義務違反であり、最高1年の懲役が課せられる重い刑事犯罪である。慣習で認められてきたからと言って、法律で禁じられている行為を正当化することはできない。まして法を司る立場の検察官ならば尚更ではないか。そして、その慣習は単なる慣習ではなく、実体としては捜査情報の売り買い(飲み食いの代償の情報提供)という買収行為に他ならないのである。政権交代して、民主党政権は事務次官会議を廃止した。長きにわたって事実上の日本の官僚行政の最高意思決定機関として君臨した会議を廃止したのである。であれば、法務大臣の千葉景子は、意を決して検察官への指揮権を発動し、検察リークの慣行を廃止するべきであろう。検察とマスコミの癒着を断つ英断を下すべきだ。

法務大臣は省内に調査委員会を設置し、検察リークの実態について専門家を入れて調査するべきで、国会の司法委員会も同じ動きを起こすべきである。言論の自由の大義名分でマスコミを甘やかすのも限度がある。検察の無用な政治介入を防ぐべきだろう。

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2010年1月10日 (日)

800兆円の借金は財務省の責任

1月7日(木)のニュース・ステーションを「世に倦む日々」は次のように論評している。

1.NY・TIMESやワシントン・ポストは菅直人の台頭に警戒を示す

「市民運動家出身の経歴を警戒的に紹介して、日本政府不信を露骨に表現した論調のものになるだろう。ホワイトハウスでも、国務省からの分析を交えた緊急報告が入っているだろうが、どのような評価や議論になっているだろう。察するに、藤井裕久から菅直人への政策主導権の移行は、現在の米国政府にとっては歓迎よりも失望の方が大きかったはずだ。M.グリーンやアーミテージらジャパン・ハンドラーズの面々が蒼然として臍を噛む様子が目に浮かぶ。彼らのカウンターパートで軍産複合体のエージェントである森本敏、岡本行夫、春名幹男らも、慌ただしく情報交換に追われながら神経衰弱が限界に達しているのはないか。その姿を想像すると小気味がいい。彼らにとって藤井裕久の失脚は恐れていた最悪の事態なのだ。菅直人は副総理であり、立場上、ポスト鳩山の筆頭である。鳩山由紀夫に不慮の事態があった場合、菅直人が自動的に総理に就任する。現在の日本の政治権力はトロイカで盤石に固まった状態になっていて、鳩山由紀夫が権力を手放した場合は、菅直人か小沢一郎がそれを引き受ける構図になる。この事実は、鳩山現政権の退陣や挫折を願う立場や勢力、すなわち米国や新自由主義側にとっては重大な問題で、鳩山由紀夫を簡単に失脚させられない面倒な事情になる。森本敏やM.グリーンの立場になって考えてみよう。鳩山由紀夫と菅直人とどっちがいいか。鳩山由紀夫の方がstill betterでnot worseに決まっている。小沢一郎はterrible happeningで、菅直人はworst caseだ。やや深読みで、些か陰謀論的な見方になるが、鳩山由紀夫が今回の人事を即断した理由として、米国の謀略を未然に防ぐ保全措置の意味を勘ぐってしまう。米国は、鳩山政権の転覆を狙って仕掛けを打ってくるはずで、この政権を米国の国益にとって有害であると判断して見限っている。岡田克也を権力に就けるか、自民党を政権に復帰させるか、どちらかの可能性を模索しているはずで、そのプログラムを策定している最中だろう。だが、菅直人が政策の全権を握って台頭し、トロイカがバランスよく均衡して結束すると、この権力体制にはどこからも手が出せないのである。鳩山由紀夫を追い落とす積極策が講じられない。そして、内政を掌握した菅直人の一策一策が、確実にに米国による支配から日本を切り離す方向に導いて行く。」これは日本にとっては民主党が政権を掌握して得た敗戦後初の果実だ。

2.菅直人か小沢一郎が次期総理となる

新聞幹部である一色清の「政治主導」の観念がある。プリテンドなのだ。一色清にとって、「政治主導」とは民主主義政治の実体を意味するものではなく、本当は官僚が主導している政治を、政治家が主導しているように演技して国民に見せかけ、国民の人気を調達する手法なのである。最初からポピュリズムの手段だと意識されている。一色清にとって、官僚主導から政治主導へという民主党の命題は、実体的な意味のないスローガンなのであり、それらしく演技をすればいい問題なのである。つまり、「政治主導」なる範疇は虚妄なイメージに過ぎず、実際には官僚主導で全てが行われているのが真実で、それ以外になく、官僚主導で何も不都合はないのである。昨夜、菅直人の大臣論を聞き、一色清の政治主導論を聞きながら、この国の民主主義という問題に直面する深刻な実感を持った。そもそも、政治主導という言葉は、民主主義政治のあり方に関わった問題である。わが国では、国民に選ばれた議員ではなく、試験に合格した官僚が政策と予算を壟断し、自分の私益のために権力を濫用している。国民から搾り取った税金を無駄に浪費している。政治主導という言葉には、それを否定する意思がこめられ、国民の税金を正しく使わせる政府を実現するという民主主義の理想が祈念されている。だが、マスコミは政治主導という言葉から内実を奪って空疎な標語に飾り上げ、官僚主導の現実を動かす政治を阻むのである。」 官僚と自民党議員に60年寄り添って生きて来た新聞・テレビマスコミは自分たちの楽な、そしておいしい生活が忘れられず、頭もまた切り替えられない。彼らに出来ることは政治状況が変わったことを国民に気付かせないことだ。市民の覚醒をもっとも恐れているのは実はマスコミの世界なのだろう。目覚めれば新聞はますます売れなくなり、テレビも皆見なくなる。 6.マスコミと官僚の露骨な癒着 官僚が権力を壟断している。政策と予算を恣にして、税金を国民の福祉には使わず、自分の飲み食いや退職金に散財している。その中枢が財務省である。だが、マスコミは政治主導を口で言い、表面的には官僚批判の基調の上に乗りながら、肝心なところでは巧みに言説を操作して、官僚主導の実質を正当化し、国民の観念にその妥当性と普遍性を刷り込むのである。具体的に言えば、藤井裕久に対する積極的評価であり、それと対照させた菅直人に対する否定的評価である。曰く、官僚とは対立でなく協調して上手に使いこなさなくてはいけない。曰く、藤井裕久は政権運営の経験のない民主党政権の立ち上げをサポートして、官僚機構との関係を橋渡しする偉大な貢献を果たした。曰く、官僚に嫌われる菅直人は、きっと政策運営で躓いて転ぶに違いない。これらの言説はマスコミが上から撒いているものだが、ネットのブログ左翼もそのまま受け入れて自分の観念や常識にしてしまっている。これらの言説は誰のものなのだ。発信源は財務官僚ではないのか。支配者である財務官僚が、マスコミを使って国民に植え付けている虚偽意識ではないのか。藤井裕久と丹呉泰健は最初からグルであり、まさに官僚主導の権力の中核の人物であった。この二人を中心に何人かが集まって、あの事業仕分けが企画遂行されている。事業仕分けは構造改革の手法であり、「ミスター小泉改革」と呼ばれて小泉政権の首相秘書官を長年務めた丹呉泰健が暖めてきた「改革」の一策だった。菅直人が経済政策に無知で不安だと言うのなら、ローマで飲酒会見の醜態を曝した中川昭一はどうなるのだ。伊吹文明や額賀福志郎は優秀な財政の専門家だったと言うのか。その菅直人批判の指摘を真に受けていいのか。 7.800兆円借金は財務官僚の責任 忘れてはいけないことがある。考え直さなくてはいけないことがある。800兆円の国の借金は誰が作ったのか。この間、ずっと国家の財政を管理担当してきた責任者は誰なのか。マスコミは、それは自公政権だと言い、今は責任から離れた者を指さして済ませる。人はすぐに、それを自民党の責任だと言って観念してしまう。違うだろう。それは財務省ではないか。何十兆円も大型公共投資をバラ撒きながら、景気回復に失敗し続け、予算を無駄に食い潰した責任者は誰なのか。国民の税金を天下りと渡りに浪費する構造を作り、無駄遣いの温床である独行法人や特会基金を増殖させてきたのは誰なのか。企業の法人税を下げ、銀行の租税を免除し、富裕層の所得税率を引き下げ、税収が国庫に入らない新自由主義税制の仕組みを作ったのは誰なのか。丹呉泰健と財務省の官僚たちではないのか。なぜ彼らの責任は追及されないのか。そして、国の借金の責任が国民にあるかの如き言説がまかり通り、国民が消費税の増税で負担せよという主張が正論になってしまうのか。国民が国の借金を自分の責任だと思い込んでいるからこそ、社会保障費の削減と負担増(聖域なき構造改革)が正当化され、地方交付金の削減(三位一体改革)が当然視され、消費税増税が世論の半数となるのである。現在の財政危機を作ってきたのは、国民ではなく財務官僚である。責任を負うべき財務官僚が、マスコミを使って周到に国民を欺き、国民に責任を押しつけているのではないか。確かに、自公政権の政治家(歴代財務相や族議員)にも責任はあるだろう。だが、それは政治責任である.税制や予算を設計し法制を実務しているのは、政治家ではなく官僚である。彼らこそが全てを承知している。財務官僚こそが糾弾の壇上に上げられなくてはならないはずだ。日本の財政を危機に陥れた真の責任者は財務官僚である。政治主導とは民主主義と国民の権利に関わる問題である。800兆円の借金を作った責任者は財務官僚だ。財務官僚の責任を不問にしてはいけない。

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